2000年(平成12年)の日本新語・流行語大賞です。1984年から開始され、この年は第17回に当たります。

前年・翌年と、すべての年の流行語についてはこちらをご覧ください。

印象に残っているワードを挙げてみます。
大賞の「おっはー」。
慎吾ママ、おはスタだけじゃなく色んな番組やイベントに引っ張りだこの状態でした。
あとみんなこの時期携帯メールで「おっはー」って使ってましたね。

同じく大賞の「IT革命」。
この頃はまったく業界とは無縁だったので、何がすごいのかわかりませんでしたが、今ではもう様々な場所で当たり前となるくらいの勢いで普及しました。

そしてトップテンの「パラパラ」。
当時はネットで動画を見る事もできず、振り付けが録画されたビデオテープは友達の間で貸し借りしながら覚えたり、バーやイベントスペースなどで講習なんかもありました。

公式サイトの発表はこちら「2000年の日本新語・流行語大賞」です。

2000年の日本新語・流行語大賞

2000 大賞

「おっはー」 朝の挨拶である「おはよう」を短縮した言葉で、フジテレビ系のバラエティ番組「サタ☆スマ」で、SMAPの香取慎吾さんが演じていたキャラクター「慎吾ママ」のが使う挨拶「おっはー」が人気に。
もともとはテレビ東京系の朝の子供向けバラエティ番組「おはスタ」で使われていた「おーはー」が起源で、慎吾ママが広めた形といえます。
8月18日には音楽CD「慎吾ママのおはロック」を発売しオリコンシングルチャートで1位、最終的に売り上げはミリオンセラーを達成するなど大ヒットしました。
受賞者は慎吾ママ。
IT革命 ITは「Information Technology」(インフォメーションテクノロジー)の略で、「情報技術」と訳されます。
当時インターネットやパソコン等の機器の普及と発展に伴い、個人の生活から社会や経済まで様々な変化を表現した言葉。
受賞者は、全国の商店街が共同出資して設立した「株式会社商店街ネットワーク」に当時高校生で初代社長に就任した木下斉さん。

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2000 特別賞

「最高で金 最低でも金」 柔道の「ヤワラちゃん」こと田村亮子さんがシドニーオリンピックの前にメダル獲得への目標を「最高でも金、最低でも金」と発言し話題に。
過去2回の五輪、92年のバルセロナと96年のアトランタではいずれも銀メダルでしたが、シドニーでは目標どおり見事に自身初となるオリンピック金メダルを獲得しました。
また待望の金メダルについて「ようやく初恋の人に出会えた」と表現しました。
受賞者は田村亮子さん。

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2000 トップテン入賞

Qちゃん この年のシドニーオリンピックで金メダルを獲得した高橋尚子さんの愛称。
監督の小出義雄さんがテレビ番組などで発言している姿がたびたび映され広まりました。
日本女子陸上界で五輪の金メダルは獲得は史上初で、日本陸上界でも戦後初・実に64年ぶりのことでQちゃんフィーバーが起こると共に女子スポーツ界初の国民栄誉賞を受賞しました。
あだ名の由来は以前に所属していたリクルート陸上部の新入部員歓迎会で「オバケのQ太郎」の歌を歌ったことから。
受賞者は金メダリスト高橋尚子さん、積水化学・女子マラソン部監督の小出義雄さん。
ジコチュー(ジコ虫) 公共広告機構(AC)で行っていた公共マナー啓発のテレビCMに登場する「ジコ虫」から。
人々に迷惑をかけてしまうような自己中心的(自己中・ジコチュー)な虫が増えているとし、人を虫に例えて表現。
事例としてどこでも関係なく車を止めてしまう「ろ虫」(ロチュー)、歩きながらタバコを吸う「イップク虫」、電車内にて携帯電話で大声で話し続ける「シロクジ虫」など。
受賞者は公益社団法人 公共広告機構の理事長・寺尾睦男さん。
一七歳 この年起きた殺人など大きく報道された凶悪犯罪の犯人がいずれも17歳だったことから、「キレる17歳」として注目されました。17歳前後に当たる1981年から1985年生まれは「キレる17歳世代」「理由なき犯罪世代」「酒鬼薔薇世代」とも呼ばれました。
こう呼ばれるきっかけとなった事件と一例としては5月1日の「豊川市主婦殺人事件」、5月3日の「西鉄バスジャック事件(ネオむぎ茶事件)」に6月21日の岡山金属バット母親殺害事件などが挙げられます。
なお「酒鬼薔薇世代」の名称については、酒鬼薔薇と名乗る犯人が82年生まれだったことからで、神戸連続児童殺傷事件は1997年に発生しています(透明な存在で1997年の流行語トップテン)。
ただし統計上、この世代による犯罪件数は突出して多いわけではなく、印象に残る犯行が多かったといえそうです。
受賞者なし。
パラパラ クラブやディスコでユーロビートにあわせて踊るダンス「パラパラ」が流行。手や腕は独特な動きをさせながら、脚は左右移動の「2ステップ」と呼ばれる動きをする踊りで、フジテレビ系のバラエティ番組「SMAP×SMAP」でSMAPの木村拓哉さんが「バッキー木村」なるキャラで「Night of Fire」という曲にあわせて踊るなど、テレビや雑誌に頻繁に取り上げられ、クラブなどに行かない一般層にも知れ渡り練習用ビデオが発売されたりやパラパラ講習が行われました。
当時はまだ「ガングロ」と呼ばれる日焼けサロンで黒く焼いた肌が流行っており、多くのガングロギャルやギャル男がクラブでパラパラを踊る光景が見られました。
発祥は1980年代後半の日本で、1999から2001年に流行したのは第三次ブームに当たります。
受賞者はパラパラの聖地とも呼べる神楽坂ツインスター、そこの支配人である紅田昇さん。
「めっちゃ悔し~い」 この年行われたシドニーオリンピックで400m個人メドレーに出場し銀メダルを獲得した田島寧子(たじまやすこ)さんがレース直後のインタビューで「めっちゃ悔しぃ~」「金がいいですぅ~」と吐露。
気持ちの伝わってくるような言い方が話題になりました。
1位と僅差であと少しで金メダルにだった事から悔しい気持ちで出た発言。
受賞者はご本人の田島寧子さん。
「ワタシ(私)的には…」 若者を中心に受賞語のような、断定せず言葉を濁すよう曖昧に表現する「ぼかし言葉」が増加。
「わたし的には」の他にも、ウザイと言い切らず「マジうざいって感じ」や「本当は来て欲しかったかな、みたいな」などが挙げられます。
相手との対立を避けたり深く入り込まず距離を保ったり、その場の雰囲気(空気)を壊さない風潮から生まれた表現といえます。
受賞者は「このコトバの使い手として一番ふさわしい有名人は?」の質問で圧倒的に答えの多かったタレントの飯島愛さん。
「官」対「民」 10月に長野県知事選で積極的な市民活動への参加を行っていた田中康夫さんが当選、11月は栃木県知事選で無党派の福田昭夫さんが、5政党の推薦を受け出馬していた現職知事を破って当選。
本来大きな力を持つ「官」に「民」が勝ったこれらの出来事は、有力者や支配層でなく、一般市民や大衆に向けた選挙活動で連帯の輪を広げる「草の根運動」により「官 対 民」 で勝利した選挙として注目されました。
なお、「無党派」は1995年の大賞を受賞を受賞しています
受賞者は栃木県知事の福田昭夫さん。

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