1986年(昭和61年)の日本新語・流行語大賞です。
1984年から開始され、この年は第3回に当たります。

前年・翌年と、すべての年の流行語についてはこちらをご覧ください。

今でも聞く言葉は「ファミコン」「激辛」「究極(美味しんぼ)」「家庭内離婚」などでしょうか。
今では普通に使っている「激辛」はこの年に生まれたんですね。

公式サイトの発表はこちら「1986年の日本新語・流行語大賞」です。

1986年の日本新語・流行語大賞

1986 新語部門

新語部門 金賞
究極 この言葉自体は以前から今も使われているように、物事をつきつめるとか極めるという意味合いですが、これを別のニュアンスとして漫画「美味しんぼ」にて『究極のメニュー』という名称で使用したことにより受賞。
「究極のラーメン」「究極のスポーツ」など、他の分野でも使われる結果に。グルメブームの火付け役とされた事なども受賞の理由と思われます。
受賞者は美味しんぼ原作者の雁屋哲さん。
新語部門 銀賞
激辛 淡平という煎餅屋さんで一味唐辛子をまぶしたせんべい「激辛・特辛子」を販売したところ思わぬ反響があり、この「激辛」というフレーズがカレーやラーメン、その他エスニックや韓国料理などグルメ関連で幅広く利用される事に。
明治17年創業の老舗煎餅店、神田淡平(かんだあわへい)の店主・鈴木昭さん。
新語部門 銅賞
ファミコン 1983年(昭和58年)7月15日(金)に任天堂から発売され、大ブームを巻き起こした家庭用ゲーム機。当時メーカー希望小売価格は14800円。
1985年には「スーパーマリオブラザーズ」を発売し大ヒット、同年アメリカでの販売を開始。翌年1986年にはカナダ、台湾、香港やヨーロッパでも発売され世界的な大ヒット商品に。
受賞者は当時任天堂社長の山内溥さん。
新語部門 表現賞
川の手 隅田川を軸としたその周辺の下町は明治以降、地盤沈下が進みますが1970年代からの法整備などの対策により収まりはじめます。
そして政府主導の都市再開発もあり再興の願いを込め、東京都区部の「山の手」に対し『川の手』とネーミングされました。
受賞者は当時東京都墨田区長の山崎榮治郎さん。
家庭内離婚 愛情はすでに冷め夫婦生活が破綻しているものの、経済的な問題や子育て、互いの親の関係など等、様々な問題で離婚できないでいる状態を表現した言葉。
林郁さんがテレビで発言しこの年「家庭内離婚」のタイトルで本を書いています。
受賞者はご本人、作家の林郁さん。
アークヒルズ 東京都港区の赤坂と六本木にまたがった位置にある、この年に完成したオフィス・住宅・ホテル・放送局などが入る複合施設で、大規模都市再開発のモデルケースとされ、東京の新名所に。
民間の都市再開発事業としては当時最大級の規模でした。
開発・運営は後に六本木ヒルズも運営することになる「森ビル」。計画は1967年から始まり、完成まで19年かかっています。

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1986 流行語部門

流行語部門 金賞
新人類 それまでの古い世代とは違い、新しい価値観を持った若い世代を指している用語。
主に1956年から1967年生まれが対象になっていて、秋元康さん、石橋貴明さん、尾崎豊さん、清原和博さん、北尾光司さんなどが挙げられます。
この言葉を発案したのは評論家の栗本慎一郎さんで、筑紫哲也さんが朝日ジャーナルの連載「新人類の旗手たち」によって広く知られる用語になりました。
受賞者はプロ野球の清原和博さん、工藤公康さん、渡辺久信さんの3選手で、これまでの球界の常識を打ち破ったファッションや言動などが理由です。
流行語部門 銀賞
知的水準 当時総理大臣の中曽根康弘さんが1986年9月22日に静岡県のホテルで行われた自民党全国研修会において外国(アメリカ)に対し「知的水準が低い」という旨の発言したとされる問題。
日本のマスコミでは大きな報道はされなかったものの、アメリカで報道されると大きな反発があり、中曽根首相が謝罪。
なお発言の内容は次のとおり。『しかも日本はこれだけ高学歴社会になって、相当インテリジェントなソサエティーになってきておる。アメリカなんかよりはるかにそうだ。平均点から見たら、アメリカには黒人とかプエルトリコとかメキシカンとか、そういうのが相当おって、平均的にみたら非常にまだ低い。』です。
発言の意図としては人種差別ではなく民族や集団の学歴に差がある事を意図した発言であるとのこと。
受賞者は当時ロイター通信社支局長のマイケル・サラモンさん。
流行語部門 銅賞
「亭主元気で留守がいい」 金鳥(KINCHO、キンチョー)ブランドで知られる大日本除虫菊の商品「タンスにゴン」(タンス用防虫剤)のテレビCMで使われたフレーズ。
CMでは「駅前通町内会婦人部」なる女性たちの集会にて「今月の合言葉」としてこの言葉が紹介されるます。
夫は元気で仕事し家庭にお金だけをを入れ、妻にとっては夫が家にはいない方が楽でいいという意味合い。
受賞者は当時大日本除虫菊社長の上山英介さん。
流行語部門 大衆賞
おニャン子 前年の1985年から始まったフジテレビの番組「夕やけニャンニャン」でのアシスタントとして活動していた女子高生グループで、「おニャン子クラブ」として活動し、番組開始から約3ヶ月に発表されたデビューシングル「セーラー服を脱がさないで」のヒットでブレイクし、その後もグループはもちろん個々のソロ活動などでも歌に写真集にとアイドルシーンを席巻します。
メンバーの加入と脱退が頻繁にあり、結成時11人で解散時は19人が在籍。1987年8月31日(月)、番組終了に伴い翌9月の解散コンサートももって2年半の活動を終了します。
初期のメンバーは「オールナイトフジ女子高生スペシャル」という特番に出演していた女子高生から選抜された11人で、その後の追加メンバーは芸能界に染まっていない素人感覚の現役の女子高生が中心になっています。
受賞者はおニャン子クラブ。
「プッツン」 張りつめていたものが切れるときの擬音として使われる言葉ですが、これを頭の血管が切れた音に例え、こらえていた感情などが爆発して激怒したり感情のコントロールが効かなくなった状態を表したり、(頭の血管が切れているという意味で)奇行や異様な行動をする人物に対して使います。
タレントの片岡鶴太郎さんがテレビ番組でこの「プッツン」をネタとして使い流行。
1987年フジテレビのドラマ「アナウンサーぷっつん物語」や、1986年から1992年まで放送されていた日本テレビの「鶴ちゃんのプッツン5」のようにドラマや番組タイトルにも使われました。
受賞者は片岡鶴太郎さん。
流行語部門 特別賞
「やるしかない」 この年に行われた衆参同日選挙で社会党の大敗を受け石橋政嗣さんが委員長を辞任し、土井たか子さんが第10代社会党委員長(党首)に就任したときの発言。
受賞は「やるしかない」ですが、実際の言葉は「やるっきゃない」だったようです。
受賞者はご本人の土井たか子さん。
150円台 前年のプラザ合意により、1978年のカーターショック以降円安の流れになっていた円相場は急激に円高が進みます。
200円台は当然のように割り込み、その後もさらにこの流れが止まらない状態となり、150円にまでなるとの予測は衝撃的に報道されます。
東海銀行調査部は円高の相場を的確に読み取り発表していたため、受賞者は当時の東海銀行頭取・加藤隆一さん。
なお当行は2002年に三和銀行と合併しUFJ銀行に、さらに2006年には東京三菱銀行と合併し三菱東京UFJ銀行になっています。
流行語部門 語録賞
「バクハツだ!」「なんだかわからない」 1970年に大阪で開催された日本万国博覧会(大阪万博)のシンボル「太陽の塔」制作でも知られる、画家・芸術家の岡本太郎さんがテレビ番組で発言していたフレーズ。
レギュラー出演していた日本テレビのバラエティ番組「鶴太郎のテレもんじゃ」で登場する際に「芸術は爆発だ」「何だ、これは」の発言や番組内での言動がウケ話題に。
受賞者は岡本太郎さん。
流行語部門 不快語追放応援賞
地揚げ・底地買い バブル景気で地価が高騰する中、土地の転売で利益を得ようと強引な手法で土地を買い漁る地上げ屋や、底地買いなどの不動産売買によるトラブルが増加。
中には暴力団を使い住人を立ち退かせるなど悪質な行為もあり社会問題化する中、女優の馬渕晴子さんも購入した高級マンションがこの騒動に巻き込まれる事になりますが、相手の不動産業者に対し裁判を起こしその様子が報道されたことで「地揚げ・底地買い」反撃のシンボル的な存在に。
なおこれらの問題は1992年のバブル崩壊により地価が下落し収束します。
受賞は馬渕晴子さん。

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